こだわらない生活がしたい

あらゆるこだわりから自分を解放していくブログ

強がるのをやめる

アラフィフになって「若い頃と変わった」ことと言えば「友人」というものの存在。

 

若い頃は、自分と気の合う人間と一緒にいるのが自然だった。
でも、だからと言ってその相手とず~っと長く付き合って行けるとは限らなかった。

 

今日、2年ぶりに我が家を訪ねてくれた人がいる。

前職で一緒だった4歳年上の女性で、彼女は2人の娘さんがいるシングルマザーで、あらゆる面で私とは全く共通点がない。

 

一緒の部署にいた時に私は彼女の事を「トロい人」だと思って苦手だったし、彼女は彼女で私の事を「容赦しない人」と思ってコワかったらしい。

 

だけど、なんとなく一緒にいる時間が増えていった。

私は、彼女の「トロさ」を「思慮深く我慢強い」と思うようになり、彼女は私を「思い切った発言をするだけの実力と自信がある人で羨ましい」と思ってくれてたらしい。私が言ったんじゃないですよ。彼女のセリフですよ。

健康だった時の私がどんだけ傲岸不遜だったかを物語っています。それらはもう置いといて。

 

彼女は仕事も家庭も忙しい。
一時は、家計のために会社に内緒で深夜の倉庫整理のバイトもしてた。

私は、そんな彼女の生き方をリスペクトしている。彼女のようになれたらと思う程に。

 

会いたい時は、私が梅田に出た時などに彼女に連絡してランチしたり夕方から居酒屋に行ったりした。

 

ここ1年以上は会っておらず、彼女にパニック障害の事は言ってなかった。

でも、ここんとこ私はちょっとココロが萎れていたので久々に彼女に電話をして、「会いたいけどパニックが頻繁になって電車に乗れないから会いにいけなかった」と言ったら、彼女が「あ、じゃあ私、有休とってそっち行きますよ~」と軽く言ってくれた。

 

彼女は総務なのでこの時期は忙しい。
今日は午前中は出社して、午後から1時間かけてウチの最寄り駅まで本当に来てくれた。

 

1時間前に別れたのだけど、彼女を駅まで送った帰り道てくてく歩きながら思った。

 

こんな風に、何でかしらんけど「気が付けば長い付き合いとなって一緒に歳を取ってきた人」というのが、今となっては友人だなと。

 

その会社に居た時は、私は彼女ではなく他の人達と長く仲良くしていた。

でも、電車で1人でわざわざ訪ねてくれたのは彼女だけ。

 

 

私が「強がるのをやめた」から、得ることができた今日という時間。

 

ナカナカうまく、表現できないけど。