こだわらない生活がしたい

あらゆるこだわりから自分を解放していくブログ

自分の内面を「演じる」のはやめよう

外見上の見せたい自分はまた別として、内面まで飾って見せるのはやめようと思った。

 

自分の内面を「磨く」ことと、人から良く思われたいがための「演出」は別モノ。

 

「本来の自分に問題が無い」なら、自分の内面を少しぐらい盛って他人と接していたって悪いことなど何もないし、ある意味それが他人に対しての礼儀であるという場面もあったりするのだから、社会人としてはそういう一面もあった方がコミュニケーションがうまくいくコトも多いと思う。

けれども、コレはあくまでも「その場限り」のコミュニケーションであって。

 

ずっと続けてしまうと、本来の自分が置き去りになる。

 

たぶんだけど、「飲み会で楽しく盛り上がったあとの一人の帰り道での辛さがヤバイ」というのはそういうのもあるんじゃないかと。

 

まあ、他人のそういうのはさておき私の場合は「エエかっこしい」の自分が維持できなくなって、取りあえず自分が持ってる「にわか的なこだわり」から捨てていこうというコトなのだけど。

 

今年に入って、ささやかながら新しい仕事と人間関係が始まったのでこれを機に「自分の内面を演じる」のをやめてみた。

 

「正直な自分を演じる」のではなく、本当に等身大の自分で他人と接するのだ。

 

もういい加減エエ年したオバちゃんの私であるのに、これにはけっこうな勇気がいった。

 

でも、そうして他人と接し続けていく事で得られるものは「飾っていない自分」でも受け入れてもらえる人間関係だという事に、アラフィフにもなって初めて気が付いた…。

 

これまで何十年も「演じ」続けてすでに無意識レベルで習慣となってしまったモノだから、ついつい気を抜いたらすぐ調子に乗って「見せたい自分」を演じてしまう。

 

だけど、そんな自分もパニック障害が起こり始めることで否応なく本来の自分(現実)へと引き戻される。

無力どころか、マイナスの自分。

 

パニック障害は「脳の勘違い」なのに、それによって自覚する自身ってものすごくリアル。どういうことやねん。(*´з`)しんどいっちゅうねん。演じてるほうがラクやっちゅうねん。

 

とにかく、そんな私。

 

「飾っていない自分」でも受け入れてもらえる人間関係を大事にするべく、自分の内面を「演じる」のはやめよう。