こだわらない生活がしたい

あらゆるこだわりから自分を解放していくブログ

新盆

昨年の10月、72歳の母が亡くなり、早や新盆がきた。

 

母は2度目の間質性肺炎で入院し、同時に長患いになっていた腸にできた癌による腹水で弱り、これ以上の強い薬は逆に負担のリスクのほうが大きいとの医師の話と、母が痛がるので痛み止めの薬を投与し、最後は眠るようにというかおそらく眠ったまま逝き、その死に顔はむくみが取れて、本来の色白美肌でかつ薄っすらと笑っているような口元だったので、

その場に集まっていた母の姉、甥、姪、私、私の夫みんなが目の前の母に対して悲壮感は無く「苦しまんで、良かったねぇ」とホッとして、むしろちょっと清々しいような(と、言うのはここにいたみんな、母に出来るだけの事をしてきて後悔がないから)気持ちになっているような雰囲気だった。

 

その様な母の死に顔は、母の最期の、ここに居るみんなへの精一杯のお礼なんだろうなと思ったりした。

人の死に多く遭遇してきた訳では全くないけど、死人が横たわった病室があれほど爽やかな空気であったのは、母が生まれつき持っていた「清廉な何か」のなせるわざかと思ったりもした。

 

このブログでは、母の事をたくさん悪く書いていたので(内容はぜんぶ、事実だけども)死後はブログを閉じようと思っていたのだけど、心境に変化があり、このブログで母の死を書くことにした。

 

 

最近のテレビのNEWSでは、実母が3歳の娘を家に置き去りにしてそのまま死なせたというのがあったけど…

 

そういうNEWSを観るにつれ、無意識に自分の母と比べ「母は心底悪い人、というのでは無かった」と思ったりしていた。

 

母は「自分の人生の不運に負けた」だけであって、その結果としてひとり娘の私を捨てたけど、その娘の不幸を望んでいたわけでは決してなかった。

 

本当なら「あれもこれもそれも、娘にしてやりたい事はいっぱいあった」に違いないのだ。

 

現実では実際、一般的な母娘の情がお互いに極薄だったのだけれど。

 

私ももし、宝くじが大当たりするとか何かで大成功して財産ができていたら、母が目をむくようなデカい家を建てて、最高の在宅医療を整えて一緒に住んでいただろう。

 

たぶん、そういうことなのだ。

 

まあ、現実はそんなに甘くないわけだけども、私は優しい夫と結婚し、子供はいないけれども夫婦の会話が絶えない笑いの多い家庭で概ね安穏として暮らしていることが「母を安心させている」という親孝行...なんだかうまく言えなくなってきたけども。

 

とにかく、母のような人生は絶対にイヤだけども、ゆくゆく自分が死んだ時の死に顔やその時の病室の雰囲気とかは、母と全く同じようにありたい、真似できたらいいのになあと思っている。